萱野三平旧邸(涓泉亭)

 四十八番目の赤穂浪士萱野三平重実は、この地で父重利の三男として生まれた。父は旗本大嶋出羽守の家臣で大嶋家の所領椋橋庄の代官を勤めていた。三平は13才の時、大嶋家の推挙で播州赤穂の浅野長矩に仕えて中小姓となる。元禄十四年三月、主君切腹となるや、速水藤左衛門と共に五日五夜早駕籠を乗り継いで、このことを赤穂へ急報する。途中生家の前を通り過ぎる時、図らずも母小まんの葬儀に出会うが、ただ掌を合わせて先を急ぐ。主家断絶の後、仇討ちの連判状に加わるが、父は江戸行きを許さず、翌十五年の一月十四日、主君命日の日、自宅の長屋門の一室で自害する。時に二十七才。辞世「晴れゆくや日頃こころの花曇り 涓泉
 彼は大高源吾と共に、当時名前の知られた俳人の一人でもあって涓泉はその俳号である。これによって旧邸は涓泉亭と名付けられて公開さ;れている(月曜休館)(入場無料)。

長屋門 入口 標識
邸内 自刃の部屋 辞世の碑
三平の墓 母小まんの墓 駅前の案内