ガイドのぼやきそして嘆きそして怒り (滝の水についてのあらぬ噂)

 この頃、「トンネルが出来てから滝には水がないそうですね。水もないのに、どうやってガイドしてられるのですか」などと云われる。どうも、誠に変な噂が流れているようだ。「とんでもない、滝の水は豊富ですよ」と云うと「あ、それは下からポンプで汲み上げて流してるんだそうですよ。だってテレビが言ってましたよ」こんなことを云われると、ガイドする気も挫けてしまう。

 
どんなトンネルでも掘れば必ず水が出る。出た水は長いトンネルの場合はどうしてもポンプで何処かへ送らねばならぬ。箱根の下を通る丹那トンネルの大量の湧水はポンプで送られて熱海市・沼津市の上水道となっている。箕面の場合、それを川へ流していると云うだけのこと。しかも、そうして返された水の量は、滝の流量の1割以下に過ぎない。それでも「箕面の滝は人工の滝になった」とか、「電気仕掛けだ」とか云うのだろうか。声高にそんなことを云い振らしてる人は、箕面の豊かな自然のイメージに悪意を持って泥を塗ろうとしているのだろうか。

私たちは箕面の自然について誇りを持ってガイドしてきたのに。全く泣きたくもなる
お客さんに「滝のスイッチはどこにあるのですか」「夜は何時に止まるのですか」などと質問されては、もう、絶望的になってしまい、気が狂いそうになる。

 大滝の下には、滝を詠ってこれ以上の句はないと云われた後藤夜半の「滝の上に水あらわれて落ちにけり」の句碑があるが、川柳では滝を詠った傑作が前田伍健の「なんぼでもあるぞと滝の水は落ち」だと云われている。この川柳がどこで作られたかは定かでないが、明らかに箕面の滝で作られた水野黒兎の川柳は「繰り返す日々滝の水は落ち続け」「深い夜滝はひたすら落ち続け」


追記

一部のテレビが云い、一部の新聞が書く所を要約すると
「滝の水量を維持するために、湧水をポンプで汲み揚げて、滝の上に返しており、半永久的に年間3000万円の電気代がかかる。自然の滝が人工の滝になってしまった。」と云うものである。
これはまるで、滝の下流で水を汲んで、滝の上から流しているディズニーランドやUSJの人工の滝のイメージを読者に与える。
トンネル内の湧水は、滝があろうとなかろうと、滝とは関係なしに、ポンプでどこかへ捨てねばならぬのに、まるで、滝の水量を維持するために水を汲んでいるかのような表現である。
トンネル湧水は、滝の上の箕面川、茶長坂川に流されているが、一部は滝とは全く無関係な千里川にも捨てられている。これが何よりの証しであるのに、そのことには口をつむぐ。
これは大規模開発は、何が何でも、無駄な開発であり「悪」であるとして、反対しようとする一部政治家、一部マスコミ、一部学者が作り上げた欺瞞的表現である。彼らはとかくセンセーショナルに人々を煽動しようとし、そのためには、しばしば手段を選ばない。・・・


心ない風説に箕面の滝は怒っている。
人を寄せ付けない  猛瀑。
「これでも、電気仕掛けと云うのですか」と。