箕面観光ボランティアガイド編
箕面検定(初級)テキストブック
このテキストブックは、箕面検定(初級)
に解答するための参考書です。


箕面の地誌

箕面市の誕生

箕面市は昭和31年に箕面町と豊川村が合併して誕生した市で、大阪府下で24番目、全国では509番目の市です。

箕面市の人口

箕面市の人口は平成21年は12万8千人でした。日本全体の人口が約1億2千万人ですから、ほぼその0.1%(1/1000)にあたります。昭和31年に箕面市が誕生した時の人口は約3万5千人ですから、以後約50年で約4倍になった計算になります。住環境に勝れた近郊住宅都市として急速に発展したことを窺うことができます。

箕面市の面積

箕面市の面積は48.4Ku (南北11.7Km 東西7.1Km)です。箕面以外の北摂7市の面積は、それぞれ、高槻市=105、茨木市=76、吹田市=36、摂津市=14、豊中市=36、池田市=22 (単位はKu)ですから、箕面市は北摂7市の中では第3番目の広さと云うことになります。

箕面市の高低差

箕面にある高い山は、六個山=396m   ようらく台=450m   最勝ケ峰=540m  天上ケ岳=520m  堂屋敷山=553m   長谷山=568m   鉢伏山=604m  明ケ田尾山=620m(ただし、豊能町との境界の山で、全部が箕面市ではない) などです。
従って、箕面で一番高い山は明ケ田尾山です。
 ちなみに、箕面市域の最低点は46m。 従って、箕面市の高低差は620−46=574mです。

箕面市の隣接市町村

箕面市に隣接している市町村は、南から時計回りに、豊中市、池田市、川西市、豊能町、茨木市、吹田市の6つです。

箕面市の木・箕面市の花

箕面は古来モミジの名所です。箕面公園のモミジの大部分はイロハモミジで、その中にオオモミジが少し混じり、箕面公園のモミジはこの2種類です。従って、イロハモミジが箕面市の木になっています。その見頃は11月下旬〜12月上旬。名前の由来は、葉が「いろはにほへと」と7つに裂けているためといいますが、実際は5〜7裂です。
ササユリは本州の中部以西に分布する日本特産で日本を代表するユリです。葉や茎が笹に似ているのでササユリと云い。花は6〜7月に咲く淡いピンクで実に清々しい気品のある美しさです。

箕面市の市章

箕面市の市章は、「ノ」を3つ三角形に組み合わせたものです。
ちなみに、、豊中市の市章は「ト」を4つを環状にして全体で「中」を表しています。豊能町は「ト」を4つと「の」。 池田市は織姫伝説にちなみ井桁と糸巻の図柄、茨木市の市章は「茨」の字を図案化し鳩を表したものです。
箕面市豊中市豊能町池田市茨木市


箕面市の姉妹都市

箕面市は、ニュージーランドのハット市と、メキシコのクェルナバカ市の2都市と友好協力の契約を結んでいます。
平成7年(1995年)に国際協力都市の盟約をしたニュージーランドのハット(Hutt)市は北島南端の首都ウエリントン首都圏に位置する人口約10万人の都市で、先住民族jマオリの文化をはじめ多様な民俗文化を残しています。
平成15年(2003年)国際友好都市の約束を締結したメキシコのクェルナバカ(Cuernavaca)市はモレロス州の州都で人口約23万、マヤ帝国の古代遺跡で世界遺産のソチカルコがあります。

箕面の地理

断層帯

西は有馬から東は高槻に至る約55kmの間を走る活断層群を有馬高槻構造線と呼びます。これによって箕面地方の地勢は、北摂山地、箕面平野、千里丘陵の3つに分割されているのです。この活断層帯の活動周期は約1,000〜2,000年と云われ、最近の活動は慶長元年(1596年)でした。

箕面大滝

日本には落差5m以上の滝が2488ヶ所もあり、その中から平成2年に百選が選ばれました。落差だけでなく、美しさや周囲の自然環境も基準になったようです。落差33mの箕面大滝も百選の中に入れられています。
ちなみに、我が国最大の落差の滝は立山連峰にある称名滝の350m。三大名瀑と云うと熊野那智の滝133m、日光華厳の滝97m、茨城袋田の滝120mです。

国定公園

箕面の山は昭和42年に明治百年記念事業の一環として、東京八王子の高尾山と共に国定公園になりましたが、これは明治4年にこの2ヶ所が我が国最初の公園地に指定されたことに因むものです。従って、国定公園の正式の名前は「明治の森箕面国定公園」です。そして、この2ヶ所を結んで東海自然歩道が作られています。

箕面川

箕面大滝を落下する箕面川は茨木市の高山付近に源を発し、猪名川に合流するまでの長さは約15.5Km。水源辺りの標高は440m、合流点の標高は10mですから、かなりの急流です。自然の姿をとどめて、水生生物の宝庫とも云われています。

箕面の歴史

摂津国

大阪府は昔の、摂津国の東部8郡、河内国、和泉国の3つの国から出来ています。そして、箕面市は摂津国豊島郡(てしまぐん)の駅家(うまや)郷を中心とし、それに摂津国豊島郡秦下郷の東部 摂津国豊島郡秦上郷の北部 摂津国島下郡宿久郷の西部を合わせた範囲です。
従って、箕面市域は昔の摂津国の範囲に含まれていたわけです。

西国街道

西国街道は京都から北摂山地の山麓沿いに西へ進んで、西宮で中国道(山陽道)と連結する街道で、山崎道とも呼ばれました。全長は36.km。現在の国道171号線のルートです。
街道には宿駅がありました。箕面市域では、古代には萱野(すすきの)、中近世には瀬川・半町の駅が作られました。

瀧安寺

箕面の瀧安寺は、奈良時代よりもまだ前、7世紀の白鳳時代に、役行者(えんのぎょうじゃ)によって作られた寺です。
役行者は、名を役小角(えんのおづぬ)と云い、大和国葛城郡茅原村、現在の御所市茅原で賀茂氏の流れを汲む家に生まれたと云います。初期の山林修行者で、修験道の開祖とされています。箕面の山に入り滝の下で水の神弁才天を祀ったのが瀧安寺(最初は箕面寺と云った)の始まりとされています。彼は江戸時代末期、光格天皇から神変大菩薩の号を授っております。
弁才天は音楽の神でもあって、手に琵琶という楽器を持っています。琵琶はなすび形の胴の4弦の弦楽器で、ペルシャ・アラビアで生まれ印度・西域・中国を経由して奈良時代に我が国へ伝わったものです。(なお、ちなみに、三味線は3弦で永禄年間に琉球から伝わった三線が日本で改造されたものです)。

勝尾寺

箕面の勝尾寺は西国三十三ケ所観音霊場の第23番の札所です。西国三十三ヶ所観音霊場札所は、那智熊野の青岸渡寺を第1番とし、岐阜県の谷汲寺を33番として、合計33の寺の観世音菩薩を巡拝して札を納めてゆくもので(現在では朱印帳に印を押して貰う)、茨木市にある22番の総持寺を出た巡礼の人たちは、23番の勝尾寺を経て宝塚市にある24番の中山寺へと向かいます。
勝尾寺は光仁天皇の皇子の開成皇子が奈良時代に開いた古い寺で、平安時代には清和天皇が巡拝され、南北朝時代には光明天皇が止宿された名刹です。

赤穂義士

萱野三平重実は、重利の三男として延宝三年、現在の箕面市萱野で生まれました。播州赤穂藩の浅野内匠頭長矩の中小姓となり、元禄十四年に主君切腹・お家断絶になった後、大石内蔵助らの仇討ちの同志に加わろうとしますが、父や兄らに反対されて、翌元禄十五年一月、自宅の一室で自刃しました。仇討ちには加われなかったけれど、48番目の赤穂義士と云われています。

野口英世の像

野口英世は福島県出身の細菌学者で多くの業績を残しましたが、アフリカのガーナで、研究中の黄熱病に自分も感染して殉職しました。今その姿は千円札に描かれています。彼は大正4年10月に母とともに箕面を訪れた。その記念のために、滝道のちょうど中間の所の山側に、その像が作られています。
 なお、問20の選択肢にある桂太郎は箕面観光ホテルの別館にその名を残した明治の元勲。頼山陽は滝の下に詩碑がある江戸時代後期の学者。開成皇子は勝尾寺を開いた奈良時代後期の皇子です。

箕面の現代

カリヨンの鐘

箕面の玄関口の一つである阪急電車箕面駅の前には、カリヨンの鐘が立っています。カリヨン(Carillon,組鐘)は、他の建築物と一体になっていない単独の鐘楼建築物に演奏用のベルを設けたもので、ベルは音の高さが異なる数個から数十個が組になっています。もともとは手動で鍵盤で演奏されたが、現在では殆どが自動演奏です。

スカイアリーナ

箕面市新稲にある体育館はスカイアリーナと呼ばれる。スカイアリーナの競技施設は、バスケットボール、バレーボール、バドミントン、卓球、です。平成9年の「なみはや国体」の時に、ここが柔道の競技場になりましたが、柔道場となったのはこの時だけで、柔道は通常は「武道館」で競技されています。 

箕面市の地名

箕面市にも沢山の難読地名があります。新稲(ニイナ)、粟生外院(アオゲイン)、間谷(マタニ)、止々呂美(トドロミ)、西宿(ニシジュク)、半町(ハンジョ)、白島(ハクノシマ) などなどがあります。