瀧安寺

滝安寺は孝徳天皇の白雉元年、役行者が山林修業の道場として開いて箕面寺と称したが、元弘2年護良親王の令旨に応じて、後醍醐天皇の隠岐からの帰還を修法して効験があり、滝安寺の名を賜り、以後、瀧安寺とし称した。もとは大滝の直下にあったが、慶長元年の大地震で全壊し現在地に移った。伝承によると、役行者は大滝の上の龍穴において龍樹菩薩より法を授けられ、滝の下で不動明王と弁才天の像を刻んで僧堂に安置したと伝える。弁才天は水の神であるので、この寺は早くから請雨の寺として知られ、また、修験道の道場とされたが、更には浄土信仰の聖地ともなり、梁塵秘抄にも「聖(ひじり)の住処」と歌われた。

観音堂 弁天堂 行者堂
神変大菩薩(役行者)の碑 修験根本道場の碑 山伏大護摩法要
瑞雲橋 弁才天立像 役行者と前鬼後鬼の絵馬