愛宕の祠とマンドロ

 面には、それぞれの村ごとに、必ず一つの愛宕の祠が祀られていた。愛宕の神は防火の神である。それぞれの村は、村を火災から守るために、京都の愛宕山から護符あるいはご分霊を頂いて持ち帰り、祠に収めて、その効験を祈った。半数の村では、祠は裏山の尾根の先端にある。その山は「愛宕山」と呼ばれた。これは、京都の愛宕神社が、標高924mの急峻な山の上にあることにちなむからでもあろうが、それよりも、村を見守って貰うためには、村が見渡せる所に居て頂かねばならぬためであろう。すなわち、村の中でひときわ高く聳える火の見櫓の発想である。

 宕は火の神である迦具土(かぐつち)神を祀っているから防火の神だと云うが、実は、この神は愛宕では脇祭神で、後から付け加えられた神に過ぎない。では、愛宕の神は、どうして防火の神になったのか。
 それは、修験山伏が行う火祭りから導かれたらしい。愛宕は修験道の山であり山伏たちの山である。愛宕には愛宕太郎坊と云う大天狗に率いられた天狗たちの住んでいるとされているが、天狗は山伏から変じたものである。
 山伏たちは柴灯護摩(さいとうごま)や火生三昧(かしょうざんまい)など、火を用いた修行を行い種々の火祭りを行う。愛宕でも旧暦6月24日に、愛宕火と呼ばれる火祭りが行われる。全国各地に分祀された愛宕神社でも、それにならって、6月24日、または7月24日、8月24日に火祭りを行っている。このことが防火の神と云う性格をを導いたらしい。ちなみに、天狗が持っている羽根団扇は延焼して来る火事の炎を追い返す風を送る霊力を持っていると云われている。

 ンドロ(万灯籠)は箕面の多くの村落で行われた民俗行事で、愛宕火になぞらえた火祭りである。行事が行われるのは8月14日、15日、24日。この日、男の子(小学校2〜6年)たちは朝から各集落の裏山にある愛宕の祠の前に集まる。昼間は青葉をくすべて煙を出し、夕刻になると、麦藁などを燃やして大きい焚火をする。そして、それぞれが手に持った松明に火を移し、大声で声を揃えて「マンドロとぼせ、マンドロ燃やせ、マンドロ消やせ・・・・」と歌いながら、一列になって山を下りてゆく。遠方から見ると、一文字の火の列である。
 ただし、昭和40年頃に山火事になったため、各集落ともこの行事を廃止した。しかし、昭和55年から、白島と芝(萱野)とで簡略化された形で復活されている。ただし8月14日の一日限りである。

平尾の愛宕 坊島の愛宕 白島の愛宕
石丸の愛宕 外院の愛宕 西宿の愛宕
今宮の愛宕 小野原の愛宕 粟生外院の愛宕
粟生新家の愛宕 間谷奥の愛宕 間谷中村の愛宕
新稲の愛宕