政の茶屋と国定公園

 昔、高山に「お政」という美しい娘がいた。彼女には大阪の下新庄に「多吉」と云う恋人がいた。お政に横恋慕した高山村の男が、多吉に逢いに行く彼女を、この坂で待ち伏せし、彼女を殺してしまう。それで、この坂を「政の坂」と呼び、ここにあった茶屋を「政の茶屋」と呼んだ。そして、旅人の安全を守る馬頭観音も作られた。

 ところで、この「政の茶屋」から勝尾寺にかけての山は、事によると、墓地公園になってしまうところだった。
 昭和41年4月、大阪府は、政の茶屋〜勝尾寺の間に墓地公園を計画する。しかし、この場所は、日本三大昆虫生息地の一つであり、シダ類の宝庫であり、また、、野鳥観察最適地であったので、箕面生物学研究会、日本自然保護協会などが猛反対をし、同年12月、アセスメントを委託されていた大阪府大の調査団との意見交換会では激論が戦わされ、結論は先送りされた。

 そこへ、突如、翌42年1月、厚生省・農林省より、明治百年記念事業として、明治の森国定公園をつくる計画が発表され、この場所も、東京の高尾山と共に国定公園に指定された。正式な名称は「明治の森箕面国定公園」である。これは、明治4年に箕面が高尾と共に我が国最初の「公園地」となったことにちなむものである。その面積は963 ha。約1300種の植物、約3500種の昆虫が棲息する自然は護られることになった。そして、墓地公園は現在の北摂霊園の場所に変更された。

 ちなみに、国定公園は国立公園に準ずる景勝地として環境庁が指定するもので、管理は所在地の都道府県。現在全国に55ある。(国立公園は28、都道府県立自然公園は307)

 そして、翌昭和43年に、この明治の森箕面国定公園の内容を説明する目的で、「箕面ビジターセンター」が大阪府営で開設された。(火曜休館)(入場無料)

 そして、さらに、昭和45年、厚生省が東西の明治の森国定公園を結ぶ「東海自然歩道」を計画し、昭和49年、11都道府県を通る総延長1697kmを完成し、ここに箕面は、その西の起点となった。