十兵衛道−失われた巡礼道

 、西国三十三個所観音霊場をめぐる巡礼たちが歩いた巡礼道のうち、二十二番札所総持寺から二十三番札所勝尾寺に至る道の一部分が現在では全く分からなくなってしまっている。地図にも点線でしか描かれていない。それは、勝尾寺川に沿って粟生間谷の谷を遡り、西田橋の所から山道に入り、最後にいよいよ勝尾寺の山に登って行く部分である。
 
 面観光ボランティアガイドのうちの有志たちは、平成17年の春以来、その失われた巡礼道を蘇らせるために、何度となく探索を続けていた。その回数は実に十数回に及ぶ。そして遂に、平成18年12月、失われた幻の巡礼道を地図上に明瞭に描き上げることに成功した。それは、かつて地図上に仮に描かれていた点線のルートとは異なっていた。

22丁道標(西田橋畔) 奥の地蔵 下の六字名号碑
清龍寺跡 上の六字名号碑 水呑場
口の地蔵 桜の地蔵 16丁石
15?丁石 12丁石(ポンプ場脇) 椿の地蔵
椿の大木(椿の地蔵旧位置) 10丁石 勝尾寺川仮橋
9丁石 十兵衛の滝 十兵衛屋敷跡
8丁石 7丁石と8丁石の間の石橋 炭焼窯跡
7丁石(竹藪の下から引上げ) 7丁石上の橋の跡 石積、竹藪、七曲がり
丁石の残欠らしき石造物 4丁石の脇の石橋 4丁石下部
3丁石(谷底から引上げ) 竹藪の中の探索 勝尾寺山内にある1丁石


 
の道は、軟弱なシルト質土壌のために、山崩れによって、場所によっては原形を止めぬまでに激しく崩壊し、その上に竹藪が繁りに茂って道を塞いだ九十九折りの道である。しかし、所々の山側には立派な野面積みの石垣が残り、谷川を渡る所には堅牢な石造の橋があり、昔はよく整備された巡礼道であったことを示している。しかも、かつて、巡礼たちに、あと何丁登れば勝尾寺の山門に到着するかを教える「丁石」が残っている。その幾つかは、上下二つに折れたり、谷底深くに落下してしまっている。ガイドたちは谷底を探し折れた断片を探して回った。新たに発見した丁石は、15?丁石(下半分)、12丁石、10丁石、9丁石、8丁石、7丁石、4丁石(下半分)、3丁石の8本。それと5丁石の残欠ではないかと思われる石柱。

 して、そのルートは十兵衛の滝の脇を登って行き、滝の上にあった十兵衛の小屋で一休みして、九十九折りの七回りに取り付き、勝尾寺山門に至るものであった。

 された記録の断片から推測すると、この道が崩壊したのは、おそらく、今から40年前の昭和42年7月、この地方が集中豪雨に襲われた時であろうと考えられる。そして、その後は国土地理院の地図からも姿を消してしまったのであった。
 お、現在、勝尾寺山内の旧本坊裏手に保存されている「一丁」の道標も、このルートの丁石の最後の一本だった可能性が大きいと、郷土資料館の福田氏が指摘している。
(ご注意1)このルートは相当な難路悪路です。川渡り、急坂、ガレ場やザレ場;があり、常に滑落と転倒の危険が伴います。従って、充分な装備(トレッキングシューズ、ストックなど)で臨むことはもとより、万一事故のあった場合もすべて自己責任と心得て下さい。箕面観光ボランティアガイドは、如何なる事故についても責任は負いません。
(ご注意2)丁石は全て路傍に建てられたか、もしくは置かれたままになっていますが、貴重な民俗文化財ですから決して持ち帰るなどと云う不心得を起こさないで下さい。このルートの谷は、右岸山頂の軍荼利明王の石蔵と、左岸山頂の持国天王の石蔵によって護られています。不心得者にはこれらの仏たちが、忽ちに厳しい仏罰を下し、谷に転落せしめること必定です。


写真はMVGの S.Itou および,N.kanataniによる(1丁石のみは「箕面の道しるべ」箕面市教育委員会より)