箕面の滝と云うと、箕面川の渓谷を約2.8キロ遡る、いわゆる滝道のどん詰まりにある大滝(落差33m)を云う。そして、話の続きとして語られるのが、大滝は別名を雌滝と云い、その上流に珱珞滝(砂防ダムにより消滅)と雄滝(落差5m程度)と云われる小さな滝があると云う話である。
しかし、実は箕面には、それらよりも遙かに立派な滝が、人目に触れることなく、容易には人を寄せ着けないで隠されている。その名は「十兵衛の滝」。
場所は勝尾寺川に沿って粟生間谷の谷を遡っていって川の右岸。府道茨木能勢線の対岸。夏は繁った樹木に隠されて、僅かに木の間から垣間見るばかりであるが、それでも冬は木々が葉を落として、その姿を大分あらわにする。滝の下まで行く道は今はない。
平成18年の12月、箕面の観光ボランティアガイドたちが探索を行い、ガイドの中の山男や山女たちが、ザイルを巧みに操って、滝の上から降下しながら実測したところによると、滝は4段の滝で、上から第1段10m、第2段10m、第3段13m、第4段14m、合計47mで水量も豊か、落差33mの大滝よりも立派である。ただ、滝の下から見上げることができるのは、第3段・第4段の27mくらいで、その全容を見ることは難しい。
そして、この滝の脇を登ってゆく道が、今は廃道になってしまっているが、かつては西国三十三箇所観音霊場をめぐる巡礼たちが通った道であった。今に残る巡礼道の丁石や石垣積みが、そのことを示している。
そして、その頃、滝の上には茶店が建ち十兵衛と云う人が住んでいたと伝えられている。今、滝の上には狭いながらも平坦地があり、そこには人里でしか咲かぬヒガンバナが群生し、建物の礎石と思しきものも散乱している。その滝の名が、この人の名から来ていることは云うまでもない。