伝承

”箕面”の地名の由来は・・・

「天下の名瀑」として知られる箕面大滝。「日本の滝百選」にも選ばれている大滝の落差は33mあり、岸壁から水が一気に流れ落ちる様子はとてもダイナミックです。 箕面大滝の流れ落ちる姿が農具の「箕」の面「表面」に似ていることから「箕面大滝」と呼ばれるようになり、地名もこれに由来していると言われています。

箕面出身の偉人が作った国民的飲み物は?

誰もが大好き・『カルピス』の創業者・三島海雲は、箕面市にある「教学寺」の住職の家系の生まれなんです。 貿易商となった彼は、仕事で内モンゴルに行った際、遊牧民が飲んでいた「酸乳」(家畜の乳を乳酸菌で発酵させたもの)に出合い、飲むと体の調子がよくなることを知り、帰国後、これをヒントに日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を製造・発売しました。

富くじ(宝くじ)

富くじとは江戸時代に流行った一種の宝くじのこと。当時の宝くじは興行主が番号入りの富札(とみふだ)を発売し、別に用意した同じ番号の木札を箱に入れ、期日に箱の小穴から錐(きり)で木札を突いて当たりを決め、「福」を授けるというものでした。箕面山瀧安寺が富くじ「箕面富」発祥のお寺で、現在でも毎年10月10日にかつての様式そのままの「箕面富」が開催されています。

元祖弁財天

瀧安寺本堂に祀られている弁財天は水の神格で、古代インドの河の女神「サラスヴァティ」と同格です。瀧安寺の弁財天は竹生島、江ノ島、厳島とともに四弁財天の一として知られ、中でも最も古く60年に一度開帳されます。

霊界と俗界のはざま

中の坂は現在の滝道ができるまでは瀧安寺への唯一の参道となっており、神仏の住む霊界と人間の住む俗界との境界でした。中の坂の下の四辻にある道標の南面には「すぐみのをかち、右京、左中山」と記してあります。この向かいには大井堰水路分水地(四大字水利組合)があります。これは四大字(平尾、西小路、桜、牧落)が設置した大井堰の分水地となっており、昔は種籾を浸けておく場所としても利用されました。

川端康成も訪れた、日本で3番目の動物園が箕面にあった!?

明治43年、電車開通に合わせて我が国で3番目の動物園が開園されました。日本最大級の総面積三万坪(甲子園球場の約2.5倍!)、延長5キロの回遊式の観覧遊歩道が設けられ、その所々にライオンを始め、象、虎、はもちろん、火喰い鳥などの珍しい動物もいたようです。入口には不老門と名付けられた竜宮城型の門があり、園内には数多くの四阿(あずまや)が多く建てられ、翌明治44年には大観覧車(空中回転機と呼んだ)も作られました。川端康成が遠足で箕面動物園に行ったということが、彼の著書「少年」にも記されていいます。 しかし、大正5年には動物園は閉鎖されて、ゾウやトラなど大型の動物は、宝塚動物園や天王寺動物園にひきとられたようです。跡地は現在の大江戸温泉物語「箕面観光ホテル」「箕面温泉スパーガーデン」に生まれ変わりました。 今や動物園に行くことはできませんが、その名残は色々なところで見ることができます。例えば、箕面温泉スパーガーデンの建物まで続く道は箕面動物園の園路と同じ形をしています。また箕面温泉スパーガーデンの高層エレベーターの袂には、山をくりぬいて化粧レンガを施した獣舎の跡が残っています!

箕面に馬車が走ってた?

箕面駅から3分ほど歩いたところにあった「つるや(有名な料亭、現在はマンション)前」から箕面大滝の滝見橋まで馬に曳かれた観光馬車が走っていました。修業の古場(しげのこば)の急坂では、満員のお客を乗せて、御者にムチで叩かれ蹄から火花を散らして登ったそうです。休日は観光客が多かったので滝道を通らず、駅前からドライブウェイを大日(だいにち)駐車場まで行ったとか。しかし、動物愛護や衛生上の問題もあり、昭和58年に廃止されました。今でも、馬が水を飲んだ水飲み場が大滝の近くに残っており、当時をしのぶことができます。

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